レイキ伝授の感想
ファーストディグリーを受けた感想は、終始目を閉じていたものの
とにかく眩しくて、まぶしくて、眩しすぎて 目を開けたくなりました。
光を感じて咄嗟に目を閉じるならわかりますが、瞼の裏に受けた光が強すぎて
目を開けたくなるなんて。
この後、沢山の大変と思う出来事が待ち受けているけれど、あの時に、あの強い光を受けているので 『何があっても大丈夫だよ』というメッセージだったんだな~
と今だからわかります。
そのあと、マスターまでと、クリスタリンレイキというのを受けたけれど、正直よくわからないままでした。
その理由も後々わかります。。。。
そこから何となく薄~くスピリチュアルに入っていって、次に興味を持ったのが
シータヒーリング。まずはセッションを受けてみて次にセミナーを幾つか受けてみました。
それで スピリチュアルとの出会いですが。。。
出会いは突然に!
家業である天然石のショップにアルバイトとしてに入ってきた、キラキラしたお姉さん。
彼女が あの REIKI∼レイキ∼ のマスターだったのです・・・・!!
はい。終了~
というのもその時はさして興味もなく、彼女が登場するのは暫くあとの話。
その時点では いわゆる スピリチュアルに対しては 偏見の塊。
怪しい宗教の世界。自分にはトンと縁のない世界・みたいな。
絶対に入り込んではいけない 世界でした。
その1年後、ちょうど母が亡くなった半年後なのですが
その頃の私は、幼い娘のアトピーと喘息のこと・亡き母の死因に対して納得がいかないことを引きずる日々を過ごしていました。
そんなある日、お店に常連のお客様が息を切らしてやって来て言うのです。
「ちょっと!今おれ、もの凄い体験してきたよ!」と。
とある有名な先生からもの凄いの受けてきた!!!と。頭の上からピチョ~ン☆彡てなって!とにかくそれに関する本、貸してあげるから!
と身振り手振りで激しく説明して一冊の本を置いていきました。
正直 え~・・・・困る~ 私あまりいいこととそうでないことの違いがわからないしな~ 今みたいに手軽にすぐに調べるってなかったし、そもそも興味のないことは全く手を付ける気が起きなかった私。
しかし次の日にまた 来たんです。にこにこして(^^♪ どう?読んだ?って。
当時 母が急死して いろんな人に心配をかけ、尚且つモール内で話題にもなっていたので、そのお客様も力になりたいって気持ちが伝わってきました。
お店は暇だし、帰宅してからだと 家事育児で読む暇はないので、
「ごめん!読んでないけど、このままだと多分読まないから今から読むね。」
と言ってざっと目を通してみると 衝撃を受けました。
だって、母の原因不明の死と同じことが書いてあるから。
違うことといえば 同じ症状で 母は亡くなり、その方は現在も生きている。
因みに母の死因は 喀血による脳死ですが、脳がむくんで次の手段を考えていた時に亡くなってしまいました。喀血の原因は病理的原因は見つからず。
何から何まで本に載っている方の症状と一緒。
でもその方は、その手当てによりむくみがとれた、という内容。
もう本当に が~ん!! てなりました。
まあ今更だけどとも思ったけれど 後悔とともに余計にやりきれない気持ちでモヤモヤが増幅されました。
でも、気持ちを切り替えなくては と切り替えた先が、当時アトピーと喘息が酷かった長女。
母の様に亡くなってしまっては後悔先に立たず。後悔はもうしたくない。
私にできること。
そう思って、そこで初めて本のタイトルを見ると レイキ と書いてありました。
へ~、レイキ 手当てか。ふ~ん。てかんじ。
それから一週間後くらい経ち、姉からバイトさんのレイキを受けてみたいんだけど、
一緒にどう?と。※そうあのアルバイトさんのレイキですね(;'∀')
あんなに衝撃を受けたのに、姉に誘われるまですっかり忘れてしまっていて。(当時 母子家庭でもあり、なにより水瓶座ってことで思考がすいすい泳いでいっちゃうのでこういうことはよくある(;'∀') )
この時やっと点と点が繋がった(遅い)
ゴリゴリの現実主義の姉から誘われたこともビックリだし、しっかり者の姉が一緒なら今しかない!
そう思って受けることにしました。
もう少し続きます。
スピリチュアルとの出会い
こんにちは。
今日はスピリチュアルとの出会い、について。
みんな目に視えない世界って好きですよね。
私はどうだったんだろう。。
引っ越してきたころは 2階のお部屋にはタンスとか家具らしいものはまだなく、
とても陽当たりのよい、清々しい空間で今思い出してもオーブがキラキラ飛び交って
何が反射してるのかな?なんて目で追いながらお昼寝につく。
最初の数週間だけだったと思うけど、私の実家の思い出したい唯一の雰囲気というか。
家の中に物が増えてくると、不調和というか、とにかく両親の喧嘩が増えて
当たられ殴られ そんな日々に変わっていきました。
中学の頃は、今だから言えるけど 人からの刺さるような視線、幻聴、サイキックアタック、片頭痛の毎日に耐え
高校時代は幻聴から人の心がダイレクトに入って来ていることに気が付きました。
余談ですが、当時の私の実家の様に気の通り、清々しすぎる所というのは、余計なものを増やしてしまうと良くないな、というか、これからお家の購入を考えている方は
~過ぎる、というのはよくないかもです。
実家は清々しすぎたんです。
実家に関して、ということもあるだろうけれど、まずは窓の多かった。
そして階段の嵌め殺し窓、階段の場所、物が増え、埃がたまり、流れが滞ったことで途中からすっかり霊道が開通してしまったのです。
ちょっと心当たりのある方はお気をつけあそばせ!
中学の頃、私は2年間ひどいいじめにあっていたのですが、このころの私の状況はというと 心を無にし、身体の周りにバリアをはっていた状態でした。
人からの視線が突き刺さり、これが本当に物理的に痛く、心に並行して身体が固く、重く、無気力になる。
当時、{精神的に弱い}ということを "身内の恥”を嫌う母にはわかってもらえず
、というか許されず、診療内科はもちろん先生やまわりの大人に相談なんてとても出来ませんでした。
時代ですかね。この話をすると、結構「あ~そうそう。そうだったよね!」という声を聞きます。かわいそうだったな、私。(ノд-。)クスン
このころ体臭も酷かった(らしい)のですが、これは憑依されてたんですね。
憑依に関してはまたの機会に詳しく書いていきます。
高校生活はとても楽しかったのを覚えていますが、このころの悩みは
人の心がどんどん自分の中に入り込んできて、人に対する嘘や疑念が膨れ上がって
それでもやっとできたお友達と仲良くしていたくて、自分自身にも嘘をついて
それが辛かった。
その能力を友人に話したこともあるけれど、気味悪がられたり、面白がられたり、ロクなことにはならなかったので、同じようなことを抱えている方は気をつけてくださいね^^;
実家にいる頃は、ラップ音というのでしょうか。よくありました。
今でも気配や音がすると弟から相談を受けますが、ピークに感じていたのは
母が亡くなる2,3年前頃。よく黒い影を見かけるといって母は怯えていました。
階段をいつも誰かが昇り降りし、いつも誰かが台所を通り過ぎ,扉を閉めていく。
そんな時ばかり、その存在について聞いてくる母。
霊障のせいで私は心を乱される(# ゚Д゚)!
亡き祖母に会ったり話せたり、良いこともあるかもだけれど、
私にとっては〔目に視えない世界〕って厄介でめんどくさくて重々しいものでした。
続きます。
誕生から現在まで
今日から宜しくおねがいします。( `・∀・´)ノ
自己紹介にもある通り、私は20年ほど前にスピリチュアルの世界に出会い、
生活に取り入れ(影響されまくり)生活してきました。
私はいまいわゆるアラフォー世代というやつですが
あえて言うなら学もなく、だからだというか。。。他人より学びが遅く少なく、
劣等感の塊でした。
私の人生のものがたりを時系列で紹介していきます^^
ちょっこし重たいと思う内容も含まれるかもなので、苦手な方はスルーしてくださいな。
1981/1月某日・千葉県にて誕生
3才頃、現実家のある土地へ引っ越し。
自然の中でのびのびと過ごしていましたが、このころから両親の喧嘩が絶えなくなりました。
4才頃より性的虐待がはじまり、小学校6年間は父親の気分で加えて暴力も増えてきました。
中学では2年間いじめに耐える日々でした。
高校生活は毎日楽しかった!! それでも家には居場所がないと感じ、
当時の彼との間に妊娠、中絶、家出。
20才で結婚、妊娠、流産
23才で長女出産、
24才の時に母親が急死、離婚
3年間の母子家庭を経て再婚し現在の道へ…と今はとても幸せではあるのですが
そう簡単にはいかず、長女が中2の時に 今までたまったものが爆発!!!
とんでも事件を引き起こします(つд⊂)
とりあえずこんな感じです。
次回はスピリチュアルとの出会いについて書いていきます
それではまた~